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世界初、素粒子ミュオンの冷却?加速に成功
―ミュオン加速元年、ついにミュオン加速器の実現へ

 ミュオン(ミュー粒子、ミューオンともいいます)は電子に似た素粒子です。1936年、空から降り注ぐ宇宙線として初めて見つかりました。宇宙線由来の天然のミュオンを使ってピラミッド内部を透視することなどが行われていますが、現在では加速器で人工的?大量につくれるようになり、さまざまな活用が始まっています。
加速器でミュオンを作るにはまず、陽子加速器で陽子を光速近くまで加速します。そして加速された陽子を黒鉛などの標的にぶつけると、パイ中間子と呼ばれる粒子ができ、それが崩壊してミュオンができます。

 茨城県東海村にある大強度陽子加速器施設(J-PARC)では、1秒間に1億個ぐらいのミュオンができますが、できたミュオンは、陽子、パイ中間子を経た「孫粒子」なので、向きや速さがかなりバラバラになっています。そのままで使える実験もありますが、ミュオンg-2/EDM実験などには不向きです。
ミュオンはマイナスの電荷を持つものとプラスの電荷を持つものがあり、お互いに粒子?反粒子の関係にあります。プラスの電荷を持つミュオンを正ミュオンといいますが、これはほぼ止まるまで減速して向きと速さをそろえる(冷却)することができます。いったんほぼ止まったあと電場で加速すれば、向きと速さのそろった指向性の高いミュオンのビームとなります。
向きや速さがそろっていないミュオンは加速が難しいのです。加速に使う加速空洞は真空の筒のようなものですが、向きがバラバラだと筒に効率よく入れることができません。また速さが不ぞろいだと加速の効率が悪くなります。
 J-PARCでは、陽子加速器でできた光速の30%程度の速さを持つ正ミュオンをシリカエアロゲルと呼ばれる材料に打ち込みます。正ミュオンはシリカエアロゲル中の電子と結びついてミュオニウムという中性原子になります。そしてレーザーを照射して電子をはぎ取って正ミュオンに戻すことにより、いったん光速の0.002%という「ほぼ停止状態」まで冷却された正ミュオンを得ます。
その後、高周波電場をかけて改めて正ミュオンを加速します。ほぼ止まっていた正ミュオンなので、加速すればするほど向きがそろった飛躍的に指向性が高いミュオンビームが実現し、さまざまな実験に使えます。

 今回、KEK、岡山大学、名古屋大学、九州大学、澳门英皇娱乐_澳门赌博现金网-官网、日本原子力研究開発機構、新潟大学の共同研究グループは、J-PARC物質?生命科学実験施設(MLF)のミュオン実験施設において、ミュオンの冷却技術、高周波加速技術を組み合わせることで、正ミュオンを光速の約4%まで加速する技術の実証に成功しました。世界初の成果になります。
ミュオンの寿命は2マイクロ秒(100万分の2秒)ほどしかなく、素早く加速しないと崩壊してしまいます。また電子より200倍重いので段階的に加速する必要もありますが、技術開発を進め、最終的には光速の94%まで加速する予定です。

 ミュオンの加速技術にめどがついたことで、世界で初めての「ミュオン加速器」の実現が視野に入り、2024年は「ミュオン加速元年」とでも呼ぶべき年になりました。加速されたミュオンを使ったさまざまな研究が進むことが期待されます。

>>くわしくはプレスリリース(PDF)をご覧ください

画像1.png 1 向きや速さがそろっていない正ミュオンビームをいったん冷却し、改めて加速する模式図

画像2.jpg 写真1 J-PARC 物質?生命科学実験施設(MLF)ミュオン実験施設で行われたミュオン冷却?加速の実験装置。正ミュオンビームが右側から入射し、写真右手前の装置で冷却され、その左側にある高周波加速空洞で加速される。加速空洞の左奥に加速されたビームの診断装置が設置されている。

研究の背景

 電子は電気(電荷)を帯びた粒子であり、磁場をかけると磁場に巻き付くような円運動をします。これをサイクロトロン運動といいます。
 電子はまた小さな磁石でもあり、磁場の中に置くと「スピン」と呼ばれる自転運動の軸が首振り運動をします。これを歳差運動といい、粒子の磁石の強さ(磁気能率)が大きいほど速くなることがわかっています。

 英国の物理学者ディラックの理論によれば、電子の磁気能率はサイクロトロン運動の周期と歳差運動の周期が完全に一致するように決まります。ディラックの考え方では電子の磁気能率は厳密に2になります。磁気能率を「g因子」という記号で書き、この場合は「g=2」です。
 しかし実験をすると、gの値は2よりわずかに大きいことがわかりました。実は首振り運動が理論予想より速かったのです。これは電子の周囲の真空が実は空っぽではなく、電磁気力を担う光子(光の粒子)をごく短い時間なら一時的に生み出したり消したりできる「量子効果」が原因で、「異常磁気能率」といいます。異常磁気能率は、素粒子の標準理論に基づき、極めて精密に計算することができます。電子の場合は実験と10桁以上の精度で一致しています。

 このように標準理論は数学的整合性とこれまでの実験データに立脚して構築された堅牢な理論で、電子の異常磁気能率の理論と実験の高精度一致はその表れの一つです。しかし近年、標準理論では説明できない現象が報告され、理論は拡張を迫られています。重力を含んでいないことや、暗黒物質や暗黒エネルギーを説明できないことなどがその限界と考えられています。
 標準理論がどのように拡張されるべきか、ミュオンを用いた測定がその指針を与えると考え、研究を始めました。標準理論を超える未知の粒子や力が存在すれば、その効果がミュオンに顕著に現れ、観測しやすいと考えられているからです。ミュオンの異常磁気能率(g-2) や電気双極子能率(EDM)の超精密測定により、素粒子標準理論に含まれない未知の素粒子や物理法則の存在を明らかにしたいと考えました。
 米国で行われた実験ではミュオンg-2の測定値が標準理論の予想値よりも大きい可能性が示唆されており、日本では大きさが20分の1のコンパクトな実験装置を用いた全く異なる方法でこれを検証します。それにはミュオンを冷却?加速することにより、指向性が高いビームを作ることが必要ですが、技術的に難しく、実現していませんでした。

画像3.png 2 J-PARCで計画している世界初のミュオン加速器およびそれを用いた新しい実験の概要

研究のポイント

 ミュオンの加速が難しいのは、加速器施設で作る通常のミュオンビームの向きや速さがそろっておらず(指向性が悪く)、電場で粒子を加速する高周波加速空洞に効率よく入れて加速することができないためです。そこで研究グループは、ミュオンをいったんほぼ静止させてから、高周波加速空洞で加速することによって、向きや速度や向きのばらつきを飛躍的に減らすことができると考えました。こうした指向性が高いミュオンビームを用いれば、高周波加速空洞で効率よく加速することができます。今回、その技術の実証に成功しました。

 研究グループは、ミュオンの加速を実現するために今回の実験に先立って、ミュオンを効率よく冷却する方法の開発と試験やミュオニウム負イオンを用いた高周波加速空洞の試験を重ねてきました。
ミュオンg-2/EDM実験では、ミュオニウムから電子をはぎとった素粒子としてのミュオンの加速が必要です。そこでミュオニウムから電子をはぎ取るため、発振周波数を精密制御した超高安定レーザーを開発し、長時間安定に冷却されたミュオンを生成することに成功しました。これらの準備に基づき、世界最大強度のパルスミュオンビームを供給するJ-PARCで実験を行ったことで、今回、ミュオンの冷却?加速に成功しました。
 光速の30%(エネルギーの単位では4MeV)の速度を持つ正ミュオンビームをいったん光速の0.002%25meV)まで減速(冷却)し、改めて光速の4%90keV)まで加速できました。

 J-PARC物質?生命科学実験施設ミュオン実験施設において、供給されるミュオンビームをほぼ止まった状態まで冷却?減速し、高周波加速空洞に入射することにより、ミュオンを光速の約4%まで加速することに成功しました。図3は電子をはぎとるレーザーをミュオニウムに照射したとき、高周波加速空洞の出口で、想定された速さ(光速の4%、エネルギーの単位では90keV)の正ミュオンが検出されたことを示します。この方法によって正ミュオンの加速が可能であることがわかりました。さらに加速することで、指向性が極めて高いミュオンビームを得ることができます。

画像4.png 3 加速空洞出口で測定した粒子の時間分布と冷却?加速されたミュオンの信号。あらかじめ加速後に想定されるエネルギー(90 keV)と運動量を持つ粒子だけを選択し、測定している。

 世界には多数の加速器施設がありますが、ミュオンの加速器は存在しません。今回実現したミュオンの冷却?加速技術によって、世界で初めてのミュオン加速器を実現します。これを用いて素粒子標準理論のほころびの超精密検証や時間反転対称性の検証実験(ミュオンg-2/EDM実験)、ミュオン顕微鏡など、さまざまな活用が可能です。さらに将来には、TeVを超えるエネルギーのミュオンを用いた衝突型加速器(コライダー)にこの技術を利用するアイデアもあり、夢が広がります。