祇園寺で坐禅体験―留学生が日本文化を学ぶ
2月1日(水)、水戸市内にある祇園寺にて、留学生が坐禅を体験しました。茨大広報学生プロジェクトの原口朋子さん(人文1年)が取材しました。
2月1日に、澳门英皇娱乐_澳门赌博现金网-官网で学ぶ留学生を対象とした坐禅ワークショップが、曹洞宗祇園寺(水戸市八幡町)で行われました。このワークショップには、胡安琪先生が行う「Japanese Field Studies B」を履修している交換留学生も多数参加。当日は日本の文化や技術、それらの地域の活動を実際に肌で体験するフィールドワークを行い、後日、それについて留学生が各々、その後の感想や学びをプレゼンテーションしました。
私は2022年秋から主に、留学生の個人チューターとして沢山の留学生と交流をしてきました。今回この坐禅体験に参加した留学生も、殆どは気の知れた仲です。普段は見られない、彼らの真剣に日本文化を学ぶ様子を見ることができ、とても嬉しく思いました。この記事では、そんな私からみた留学生の学びや生活の一部を、皆様にも知っていただけたらと思います。
今回の坐禅体験には、アメリカや韓国などからの留学生9名が参加しました。
祇園寺に着いてから、日本独自のあの荘厳な雰囲気に魅せられたと同時に、お寺はこんなにも静かなところなのかと驚きを隠せずに私に言葉を漏らした留学生もいました。
お寺に入ったあとは、体験の前こそそれぞれが緊張と不安を持った表情をしていましたが、最中は副住職をよく観察し、お寺の厳かな雰囲気も相まって、集中した様子が見られました。私自身、坐禅は久しぶりでしたが、副住職から説明があったように頭の中を空っぽにすることは難しく、何も考えないように意識すればするほど、人間は何か考えたくなるものだなと改めて感じました。坐禅こそあまりうまくいかなかったものの、坐禅開始と終了時に鳴る鐘の音には、私を含め、留学生らも魅了され、心がすっと落ち着くように感じました。坐禅の際に結ぶ手の印が乱れたり、眠くなったりしたものに対して行う、肩を叩く動作「警策(きょうさく)」は、今回は志願制で行いました。半数の学生が志願し、終わった後には、それぞれがお互いに「思っていたより痛くなかった」、「いや、私はかなり痛かった」などと感想を共有しており、慣れない体勢のせいでおぼつかない足取りの中、坐禅の余韻を感じていたようでした。
坐禅が終わったあとは、祇園寺の副住職のお話と質疑応答の時間が設けられました。
質疑応答では、ドイツからの留学生のノアさんから、「日本の若者は坐禅が好きですか」という質問があり、副住職は「坐禅を体験した方はみな、体験できてよかった、心がすっきりした、などとおっしゃいます。ただ、現代ではお寺と若者とのつながりが薄いので、多くの方に坐禅の良さを分かっていただくために、我々も試行錯誤しているところです」と答えてくださいました。
各々の日本語のレベルは違えども、皆、疑問を躊躇なく投げかけており、時には副住職を唸らせるものもあり、私自身、来てよかったなと心底思いました。
坐禅に参加したイギリスからの留学生、ティアさんは「西洋のメディテーションと似ていると思っていたが、目的が違うことを学んだ。ただ、座禅の最中にはやはり、いろいろなことを考えてしまいうまくいかなかった」と楽しそうに話しました。
この胡先生の授業は、留学生からの満足度が高く、後々、私がチューターとして担当している留学生といつものように談笑している際には、来学期もできる事なら、先生の授業をとりたいと話しており、日本で心の拠り所を見出していることを嬉しく思いました。
ここからはチューターとして、また、いち学生として私が彼らについて感じた事です。半年という短い間ですが、出会った当初は「こんにちは」「ありがとう」と自分の名前しか聞き取れなかった留学生が、今では、ゆっくりと簡単な日本語では難なく理解するようになったり、以前は嫌って私に頼んでいた、日本人の店員さんへの対応なども、最早私の助けなどほぼ必要ない程になったりと、凄まじいスピードで成長する彼らを見ると、私も頑張らねばと毎度のごとく感化されています。
私がチューターとして担当する交換留学生は学部に属している留学生と違い、あまり学内でも他の学生と交流を持つ機会が少なく、助けを必要としている留学生が多い反面、彼らの拠り所となる場や人が比例しない部分も少なからずあります。是非、この記事を最後まで読んでくださった方、彼らと交流をしてみては如何でしょうか。世界中の若者が会する空間は、とても素敵なものです。私もその魅力に魅せられたもののひとりです。
(取材?構成:茨大広報学生プロジェクト 原口 朋子(人文社会科学部1年))